【お店】半田赤レンガ建物 カブトビール(in愛知県半田市)

 愛知県半田市にカブトビールを製造していた赤レンガ建物があり、カブトビールを飲むこと、過去の歴史を展示している場所があることを知り、出かけてきました。

半田観光・お土産を買うなら「半田赤レンガ建物」へ (handa-akarenga-tatemono.jp)

 まずは、有料展示室(200円)で、カブトビールが建設された歴史展示を見学。江戸時代は中埜酢店として繁盛していた中埜家4代目から命を受け、甥の盛田善平他全15人が丸三麦酒醸造所を立ち上げます。「丸三」は、中埜家の家紋からつけたのですね!当時、サッポロ、エビス、アサヒ、キリンが台頭する中、名古屋ではカブトビールを立ち上げる。すごいことです。ドイツ人醸造技術者も呼び、本格的な建物(赤レンガ)も建設し、一大企業として経営していた当時がよくわかりました。とても貴重な資料を展示して頂き、1時間以上見入ってしまいました。

 明治・大正・昭和の3種類のビールを頂けます。今回、ジャーマンポテトとウィンナーと一緒にまずは「対象」のピルスナーを頂きました。本格的なピルスナー。モルトのとてもしっかりとした香り、そして苦味が後味で強く残ってくる。古き良きドイツビールを感じるクラシックラガー5%

 次は、「明治」。アルコール7%の黒ビールですが、ガツンとワインのような後味がパンチのように効いてきます。1900年のパリ万博において金賞を受賞した復刻ビール。この歴史を後世にも残していってほしいです。17時閉店のため、隣の売店から購入してきました。

カブトビールの歴史(HPより一部引用)

  • 1887年(明治20年):丸三麦酒醸造所を設立
  • 1889年(明治22年):「丸三ビール」が初出荷
  • 1898年(明治31年):半田赤レンガ建物を創設。銘柄を「カブトビール」に改める
  • 1900年(明治33年):パリ万国博覧会で金牌を受賞
  • 1906年(明治39年):根津嘉一郎が譲受して、加富登麦酒株式会社に改称
  • 1922年(大正11年):帝国鉱泉と日本製壜と合併して、日本麦酒鉱泉に改称
  • 1933年(昭和8年) :大日本麦酒株式会社と合併
  • 1943年(昭和18年):企業整備令の適用で、半田工場を閉鎖。カブトビールの製造終了

 中埜酢店4代目・中埜又左衛門と盛田善平(後の敷島製パン創業者)らが、丸三麦酒醸造所を設立し、その2年後に半田から「丸三ビール」が初出荷される。(日本では、サッポロビールが1977、キリンビールが1988年、エビスビールが1990年に発売された時代です)。近代的来な赤レンガ倉庫、ドイツから機械技師と醸造技師を迎えて、新ビール工場となり、当時は、東海地方で最大のシェアを誇っていたことがよくわかりました。

 カブトビールの名称は、ビールを喉で勢いよく飲む「かぶる」からや、勇ましい「兜」の商標を用いたなど諸説あるようです。

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